石川県は金沢市の兼六園は日本三名園の1つですが、残りの二つの名園というのは、水戸の偕楽園と岡山の後楽園です。
兼六園という名は松平定信によって、ある中国の詩人の書物の六つの言葉を基に名付けられたそうです。
石川県は戦国時代、大名は前田家。百万石というのは、大変大きな勢力だったと言われています。
加賀百万石というのは、現代でも言い継がれています。
盆踊りなどの祭りの踊り歌にも、加賀百万石が歌われています。
その当時から兼六園があったということですが、命名される以前も密かに園を築いていたのでしょう。そう思うと、命名されないまま、現代を迎えていたとしたら、兼六園はまた違った形の兼六園だったでしょう。
考えても仕方ありませんが、いろいろなものが石川県や兼六園の歴史と共に築き上げられ、現在の石川県があり、兼六園があるのですね。なにか神秘的なものを感じます。
兼六園は、前田家にとっての大切な園(庭園)として大事に受け継がれて、今の兼六園がある言っても過言ではありません。
石川県の文化や県民性なども、こういったところから形成されてきたのだと思います。
偕楽園、後楽園と肩を並べる兼六園。
日本三名園とは、今に始まった呼び名ではなかったのですね。
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